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夕暮れからの道程(1)

 そろそろ日が暮れようとしていた。
 放牧していた全部の馬を厩舎に戻した後、手にした箒を洗うために水場に向かっていた美瑛(みはえ)は、日が沈む方をふと見やった。
 広い牧草地の向こうには、なだらかな山が連なっている。
 夕焼けにかかっている雲はないから、明日も晴れるのだろうかと思った。
 「美瑛ちゃーーーん!」
 「え?」
 不意に自分を呼ぶ声がしたので驚いて振り返った視線の500メートルほど先には、声の主である女の子がいた。
 「きらら」
 「美瑛ちゃーーーーん!」
 もう一度彼女は名前を呼び、勢いよく走ってきた。


 「時間かかったね」
 「…意外と遠かったよ、美瑛ちゃん」
 頑張るには頑張って美瑛の元まで走りきったきららは、大きく肩で息をする。
 「体育の授業がなくなると体力落ちるっていうけど、本当だね。馬にも乗ってないし」
 「東京で馬には乗れないっしょ。あと、体育の授業は大学でもあるって言ってなかった?」
 「大学の授業で週に一回ゴルフの打ちっぱなしやるだけだよ。ただのお遊びだよ、そんなん。乗馬やれるところも遠いし高いしさ。
 それよりさ、美瑛ちゃん」
 きららは勢いよく美瑛に抱きついた。
 「何?」
 「本物の美瑛ちゃんだ。ねえ、『おかえり』は?『おかえり』は?」
 丸い目がじっと見つめてくる。
 「おかえり」
 「美瑛ちゃん、なんかもっとこう、感動とか情緒とかそういうものは?」
 「…箒洗ってもいい?」
 「もうっ!」

 結城美瑛と辻堂きららは、どちらも北海道の牧場の子として18歳まで隣同士の牧場で育った。
 見渡す限り牛や馬の放牧地かそれに付随する山か、たまに道路といった景色で、移動には車が無いとどうしようもないところだ。「隣の牧場」と言ってもキロ単位で離れている。
 どちらの家も競走馬としてのサラブレッドを生産していた。美瑛の家が純粋に繁殖牝馬と仔馬のみを扱い、仔馬を売って稼ぐ生産者であるのに対し、きららの家は仔馬を売らずにそのまま育ててレースに出し、優秀な成績を修めた馬が引退した後には種牡馬としてけい養し種付け料も稼ぐといった、いわゆるオーナーブリーダーだった。必然的にきららの家の方が格段に規模が大きく、このあたりで彼女は「お嬢さん」扱いされている。それでも、同じ馬産業に携わる家同士だったし、同じ年の子供自体が少ないから、仲良くやっていた。
 二人を繋ぐものはもう一つあって、それはお互いの名前だった。
 「美瑛」という文字を見て「みはえ」と読んでくれる人は、少なくともこのあたりには絶対にいない。同じ字で「びえい」と読む地名が近くにあるからだ。何故この名前になったかと言えば、本州から嫁した母親が「美瑛」という字に一目惚れし、頭の中で勝手に「みはえ」と読んでいて、それをそのまま娘の名前にしてしまったからだ。当然親戚筋からの反対はあったが、父母は押し切ってしまった。
 きららの方も事情は似たようなもので、これまた本州から嫁いできた母が「響きがいいし、お星様みたいに輝く子になって欲しいから」と言ってさっさと役所に届けを出してしまった。ところが「きらら」と言えば北海道生まれのブランド米の名前である。
 おかげで彼女たちはクラスや学校が変わるたびに、
 「結城美瑛です。地名の『びえい』と書いてみはえと読みます」
 「辻堂きららです。お米ではありません」
 と、甚だ屈辱的な自己紹介をする羽目になった。
 「内地(本州のこと)出の母親を持つと、道産子は苦労するよねえ」というのが彼女らの共通見解である。
 彼女たちは小中高と同じ学校、同じクラスで育ち(もっとも前述の通り子供が少なく、学校もクラスの数もたいして多くなかったから、これは必然に近いかもしれない)、美瑛は実家の従業員として働き始め、きららは東京の大学に進学した。
 だいたいが就職するか、大学に行ったとしても道内という中、東京の大学に進学するという子は、このあたりでは極めて珍しい。さすが辻堂ファームのお嬢さんだとみんなが感心していた。
 そんなきららが大学に入って初めての夏休み…という割に夏も終わりかけになった頃、やっと帰省してきたのだった。

後→
神崎 瑠珠 * 夕暮れからの道程 * 00:37 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

夕暮れからの道程(2)

 美瑛が箒を洗い終えてから、二人は並んで厩舎の横にあるベンチに座った。
 日はもう半分ほど落ちている。
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神崎 瑠珠 * 夕暮れからの道程 * 01:33 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

夕暮れからの道程(3)

ダービーはおよそ競馬をやっている国ならば殆ど全てにあるというレースである。
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神崎 瑠珠 * 夕暮れからの道程 * 16:30 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

夕暮れからの道程(4)

 パドックでの周回が終わると、各馬には騎手がまたがり、観客席の下に作られている地下馬道を通って馬場に入場する。
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神崎 瑠珠 * 夕暮れからの道程 * 22:08 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

夕暮れからの道程(5)

あっと思う暇もなかった。
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神崎 瑠珠 * 夕暮れからの道程 * 23:02 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

夕暮れからの道程(6)

日はもうだいぶ傾いていて、北海道の長い夕焼けもそろそろ終わろうとしていた。
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神崎 瑠珠 * 夕暮れからの道程 * 22:25 * comments(2) * trackbacks(0) * - -

夕暮れからの道程(あとがき)

かろうじて本編はダービーに間に合いました。ヨカッタ…。
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神崎 瑠珠 * 夕暮れからの道程 * 22:12 * comments(0) * trackbacks(0) * - -
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