<< January 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 夕暮れからの道程(1) | main | 夕暮れからの道程(3) >>

夕暮れからの道程(2)

 美瑛が箒を洗い終えてから、二人は並んで厩舎の横にあるベンチに座った。
 日はもう半分ほど落ちている。
 「ふう、この景色も久しぶりだ」
 きららは大きく息を吸い込んだ。草と動物の匂いがする。馬糞の匂いも混じっているが、そんなのはとっくに慣れっこだ。
 「帰ってくるの、明日って言ってなかった?」
 「やっぱり美瑛ちゃん、ケータイ見てない!ちゃんとメールしたよ。今日の飛行機に変えられたから急いで帰ってくるよって!」
 美瑛は無言で作業着のポケットから携帯電話を出し、ぱっかりと開く。しばらくの後にまたぱかりと閉じた。
 「メールと着信がいっぱいあった」
 「全部あたしでしょ!んもう、美瑛ちゃんは。何回言ってもケータイの存在忘れるんだから」
 「持ち歩くようになっただけ進歩だと思って欲しい」
 「気がつかなきゃ意味ないの。音とかがんがん鳴るようにしといてよ」
 「馬が驚くから駄目」
 「嘘だー。最近は馬だってケータイの音くらい慣れっこだよ!」
 「そうかもしれないけど、驚かせたくないから」
 「それもそうか…」
 きららも牧場の子なので、あっさり納得した。
 「相変わらず観光客のケータイ、うるさいの?」
 「最近は客自体がそんなに来ない」
 「やっぱりか…」
 きららは溜息をつく。ここ一帯は引退した競走馬もたくさん居る。種牡馬や繁殖牝馬の他に、功労馬としてファンサービスのために食客扱いになっている馬や、乗馬となっている馬も居た。かつては大勢のファンが、その馬を目当てに押し掛けたものだ。
 「競馬の人気自体、落ちてきているのかなあ」
 「かもね」
 少し淋しそうに言うきららとは対照的に、美瑛は淡々としていた。
 「あのね、メールにも書いたけどさ。大学に入ってサークル回ってたときね、先輩の男たちにWINS連れて行かれたんだ。初めて行ったよ、WINS」
 WINSとは場外馬券場のことだ。競馬場まで足を運ぶことが出来ないファンのために、全国に何ヶ所も作られている。
 各競馬場のパドックやオッズ、レースなどがモニターで見られ、その場で馬券を買うことが出来る。
 「でも」
 美瑛は一応とがめる。競馬場と同じく20歳未満は、一応馬券を買うのは禁止だった。きららはさえぎり、
 「分かってる。先輩たちだって20歳越えてない人も居たし、別にいちいち何か言われることもないよ。居るだけならね」
 「それで?」
 「うちが牧場だなんて言ってなかったから、馬の見方とか説明されてさ。何を今更って思った。血統がどうのこうのとか。いくらあたしが家のこと何もやってないっていったって、先輩たちよりは詳しいと思う。知ってるっつの」
 「うん」
 「それから、少し不思議だった。そこにいたたくさんのオジサンとかおじいさんとか、色んな人たちがレースのたびにモニターをくいいるように見ててさ。純然たるギャンブルの場なの。競馬場だとただ馬を見にきた人とか、家族連れとかもいるけどWINSは馬券を買う場所だからそういう人たちが全然いなくて。でもあたしは元を辿ればそうやってギャンブルとしてお金を出している人たちに喰わせてもらって、大学にまで行かせてもらってるのかって。先輩たちの中にもうちの馬のファンもいてさ。しみじみありがたいなと」
 「ツジドウ馬ファンは多いと思うよ」
 「ツジドウ」とはきららの家が所有する馬の名前に必ず入れられる、いわゆる「冠名」というものだった。
 きららは少し肩をすくめる。
 「ありがとう。…ともかくあたしのゴハンの元はここなんだ、とはっきり分かるのは変な気分だった」
 「そう」
 「それをきっかけに気が向いたから、府中にも中山にも行ってみた。いやあ、あんなにすいてる時があるんだなって感心した。うちの馬がG鵯に出るときしか行ったことなかったし、競馬中継は殆どメインレースのときしかやらないし」
 G鵯とはグレード・ワンの略で、国際的に最も格が高いレースのことである。日本には20以上のG鵯レースがあるが、どれも賞金が高く、億を越えるレースも多い。観客が10万人以上になることもあった。きららの家の馬はよくこのG鵯レースに出走しており、両親に連れられてきららも何度かG鵯開催時の競馬場に行ったことがある。北海道から本州の競馬場に行くのは大変なので、事業として競馬を行っているきららの父はともかく、きらら自身は滅多に行くことがなかった。
 G鵯開催時にはパドックにもスタンドにも人がはりついていて、よくもまあ足の踏み場があるものだと感心したのに、それ以外の時に行けば、確かに混んでいるときもあったがG鵯開催時の比ではない。スタンドの座席は朝一番で行かないとなかなか取れないこともあったが、そのへんで立って見る分にはどうということはなかった。
 「おじさんに言って、馬主席に入れてもらえばよかったのに」
 「それもなんだか面倒だったから。ただぼーっと見てただけ」
 きららは足をぶらぶらさせた。美瑛はそれ以上先を促すでもなくじっとそこにいる。この二人はいつもそうで、きららが言いたいことを喋って、美瑛はじっときいているだけだった。美瑛から話すことは殆どない。
 そんな美瑛の横顔をちらりと見たきららは、満足そうにうなずいた。
 「東京に可愛い子はたくさん居たけど、美瑛ちゃんほど綺麗な子はいなかったよ」
 「…どうも」
 「美瑛ちゃん、その反応もどうかと思う…」
 「…」
 美瑛は無表情だった。
 実際、彼女は女優のような美貌というわけではなかった。整ってはいたが甘さのない顔立ちで、無表情がかえって印象的だった。力仕事をしているせいで体つきは引き締まるを通り越してたくましかったし、それでいて色が白くきめ細やかな肌をしているから、なんだかアンバランスだった。
 元々色白だったことに加え、きららが美白について徹底的に叩き込んだのである。彼女は、美瑛の肌が好きだった。
 きらら自身はというと、顔立ちこそ十人並みだったが、適度に馬に乗り、本人も美容に気を遣っているおかげでプロポーションはこの辺の娘としてはどころか東京の大学に行ってさえ珍しいくらいよかった。ただ彼女は美瑛と違って油断するとすぐ日に灼けるので、そこが悩みの種だった。
 「本当だよ。美瑛ちゃんはすごく綺麗」
 「なんできららは私をそんなに誉めるの」
 「正直に言うとそうなるの。美瑛ちゃん、大好き。ね、悪い虫はついてない?男が放っておかないでしょ。観光客とか大丈夫?」
 「客って…別に。この辺の男は『牧場の女とだけはどうこうなりたくない』って言ってるのを聞くよ」
 「高望みしやがって、あいつらー。あたしたちだってごめんだよねえ」
 「ごめんというほどでは…そこまで強い思いを持ってないから。選り好みしていても仕方ないし」
 「だめよ。美瑛ちゃんを安売りするなんて、あたしが許さない」
 きららはぎゅうっと美瑛に抱きついた。美瑛は眉一つ動かさず、「仕事着だから、汚れてるよ」と言った。
 「…ね、美瑛ちゃん。何であたしが東京に行ったか、分かる?」
 唐突な質問だったが、急な話題転換をするきららは別に珍しくもなかったので、美瑛は少し首を横に振るだけだった。
 「それなりの大学を出て、馬主になれそうな男を探して、結婚して、日本の競馬界を変えるために東京に行ったのって言ったら、美瑛ちゃん、信じる?」
 きららは一気に言うと美瑛からゆっくりと離れ、また夕日の方に向いた。
 さっきまで青から黄色だったグラデーションの空の色が、今は赤い色が入ってきていた。こんな広い空は久しぶりに見たな、ときららはあさってなことを思った。
 「きららがそう言うならそうなんだろうと思うよ」
 「そうなの?」
 「うん」
 別に疑うところがなかった。
 「本当はきららが大学の先輩たちよりずっと血統とか、馬の見方とかそういうのに詳しいことを知ってる。牧場の子だからじゃなく、きらら自身が勉強してるのを」
 「…なんで知ってるの?」
 「見てれば分かるよ」
 きららは、はあっと溜息をついたが、それががっかりしたのか安心したのか自分でもよく分からなかった。美瑛は珍しく続ける。
 「あの時からきららはずっとその生き方を決めてきた。違う?」
 「…あの時?」
 きららは無駄な抵抗と知りつつとぼける。正確な時を、美瑛の口から言わせたかった。
 「中一の時の、ダービー」
 果たして、美瑛はきららが望むだけの答えを返す。
 ああ、ときららはまた溜息をついた。

←前 次→
(2014/5/9)
神崎 瑠珠 * 夕暮れからの道程 * 01:33 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

コメント

コメントする









トラックバック

このページの先頭へ