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夕暮れからの道程(3)

ダービーはおよそ競馬をやっている国ならば殆ど全てにあるというレースである。
発祥の地はイギリス。3歳の馬しか出ることを許されず、中距離を走るという点で各国とも大体共通している。3歳しか出られないということは、どの馬にも等しく一生に一度しか機会がない。人間でいえばまだ高校生くらいの若駒たちが、生涯の栄誉をかけて挑むのが競馬のロマネスクに合うのか、ダービーはどこの地でも特別なレースで在り続けている。
 日本も例外ではない。
 地方競馬にも色々とダービーの名がつくレースはあるが、日本でサラブレッドとして産まれてきた以上、無条件に目指すレースが東京優駿、いわゆる「日本ダービー」だった。
 たった18頭しか出られないそのレースは、出るだけでも大変な苦労と運を必要とする。
 彼女たちが中学1年の時、そのレースに美瑛の家の馬が出たのだ。
 サラブレッドは優秀な馬同士をかけあわせて作られた生き物である。だから父母が優秀な馬であればあるほどその子供の価値は期待とともに高くなり、値段に反映される。勿論、生き物だからそう計算通りにはいかず、高くても全く走らない馬や、安いのに驚くほど走る馬もいる。
 美瑛の家はそれほど大きな生産者ではなかったから。血統もさほど良いとはいえない馬が多かった。そんな中、美瑛の父が「ちょっと冒険してみた」といって種を買った、それでも1.5流程度の馬をつけた自家製牝馬の息子が、ダービーまで勝ち上がったのである。
 ダービーに出るにはまず2歳か3歳のうちになんとしても一勝を挙げることが絶対条件である。それから、よほど運がよければ一勝を挙げた馬同士で抽選を行い、それで出られることもあったが、基本的にはいくつかの前哨戦を勝つ、あるいは上位に食い込んで優先出走権を得ることが必要だった。
 美瑛の家の馬、シオンスピードは前哨戦の一つ、青葉賞で2着に入る健闘を見せて、ダービーに名乗りをあげていた。

 そのダービーの当日、きららと美瑛は府中にある東京競馬場にいた。
 少し雲がかかった日で、それほど暑くはなかった。
 スタンドもパドックも、大勢のファンで埋め尽くされている。入場者数はダービーの前で既に10万人を越えていた。
 パドックは柵の外をファンがぐるっと取り囲み、その中で円を描くように厩務員などに引かれた馬たちが周回する。普段はそれだけだが、こういった大きなレースではその円の中心に馬主や調教師がいる。そういった作りだった。
 生産者にも入場が許されていたから、美瑛はおまけとして特別に連れてきてもらっていた。パドックの中に入るのは初めてで、テレビだとコンクリートのように硬く見える地面は案外柔らかく、足が少し沈みそうだった。馬の足に少しでも負担をかけないようにそうなっているのかと感心した。
 「美瑛ちゃん」
 いつの間にかきららがそばにいた。いつもきららが美瑛のもとにやってくる時は、「美瑛ちゃーん!」とややうるさいくらい、呼ぶのを楽しむように来るのだが、パドックで大声は厳禁だ。逃げ場のないところで馬が驚いて暴れたりしたらおおごとになるからである。
 どちらかといえば普段着に近く、ショートカットの髪はなにもしていなかった美瑛に対し、きららはお嬢さんらしくきちんとしたワンピースを着て、髪を結っていた。
 「東京で会うって、何か新鮮だねえ」
 「そうかな」
 「シオンスピード、調子良さそうだね」
 「きららのところも、悪くはなさそうだけど」
 「そりゃあダービーだもん。仕上げはいいよ。でも元の能力がね。パパも大して期待してないと思う」
 大して期待していない馬なのに、明らかに馬とは関係ない娘のきららを連れてくるのだから、辻堂ファームはやはり大手なのだった。
 「きららちゃん、来てたんかい」
 横から入ってきたのは美瑛の父、結城正吾だった。よく日に焼けてすこし痩せ気味で、いつも申し訳なさそうに笑っている人だった。
 「こんにちは、おじさん。シオンスピード、調子良さそうですね」
 「いやあ…辻堂さんちからみたらなんだって思うかもしんねえけどね。やっぱり初めてのダービーだから。美瑛まで連れてきちゃってねえ」
 「あたしは府中で美瑛ちゃんに会えて嬉しいですよ。一緒にダービーが見られるなんて」
 「美瑛と仲良くしてくれてありがとうね。この子、愛想のない子だから…申し訳ないねえ」
 「美瑛ちゃんがそういう子だから、あたしが独り占め出来るんです」
 しきりに頭をかく正吾の前で、きららは美瑛にぎゅっと抱きついた。別にそれはお世辞ではなく、きららの本音だった。
 「そうかい…そうかねえ」
 「それより今日は、あたしもシオンスピードを応援しますよ。勝ったらウィナーズサークルに入れてくださいね。絶対、美瑛ちゃんと一緒にテレビに映りたいんです」
 「そんなこと言ったって、辻堂さんちの馬も出てるじゃねえの」
 「やだな、抽選でやっと通ったのと青葉賞2着じゃ格が違います。第一、あれはパパの馬であたしのじゃありませんから。あたしは美瑛ちゃんと一緒に喜びたいんです」
 「そうかねえ…申し訳ないねえ…」
 正吾は恐縮しっぱなしで、きららはあっけらかんと笑っていた。美瑛はどちらに与するでもなく、ただ周回する馬たちをじっと見ていた。


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神崎 瑠珠 * 夕暮れからの道程 * 16:30 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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