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夕暮れからの道程(4)

 パドックでの周回が終わると、各馬には騎手がまたがり、観客席の下に作られている地下馬道を通って馬場に入場する。
 勇壮なマーチとともに誘導馬が現れると、スタンドからは早くも大きな声援が飛んでくる。神経質な馬はこの声援によってやる気をなくしたり暴れたりするので、誘導馬より先に馬場に入れたりすることもあるが、だいたいは誘導馬の後ろから、番号順に入場するものと決まっていた。
 きららと美瑛はパドックを出て馬主席に居た。スタンドのかなり上に位置するこの席は、実は観戦するのにはあまり向いていない。モニターはあるが、実際の距離は遠いのだ。一般ファンがひしめいている下のスタンドの方が、本来ははるかに見やすい席だ。ただ、ダービーの時に少女2人がそんなところに行っても人混みで殆ど見えないし、迷子になることが明白なので、互いの親からきつく止められている。
 「ほらほら美瑛ちゃん、シオンスピードだよ!」
 「うん」
 丁度シオンスピードの入場に間に合った。ところが、
 「きらら」
 はしゃいでいるきららに冷静な声がかかる。きららの父、辻堂壮太だった。
 大きな体躯をぱりっとしたスーツに包んだ壮太は、ダービーの歓声に負けないよう幾分声を張り上げて、
 「お前の席はあっちだ。戻りなさい」
 「ツジドウの席はいっぱいじゃないの。あたしは美瑛ちゃんといる。一般スタンドに降りてるわけじゃないから、いいでしょう?」
 実際、馬主席といえど限りはあるし、きららは大人に交じって座って見ているより、美瑛と一緒に通路で立って見ている方がよっぽどよかった。
 「駄目だ。ダービーは家族で見るものだ。美瑛ちゃんも、戻りなさい」
 「なんでよ、パパのケチ!」
 「わかりました」
 きららと美瑛は正反対のことを言ってしまった。きららとしては全く納得いかなかったが、当の美瑛がすたすたと家族の席に戻ってしまったのだから、どうしようもない。不承不承壮太の後について戻ることになった。
 「座りなさい」
 壮太は自分の隣の席をあごでしゃくった。何でパパの隣の席…とぶつぶつ言いながらともかくきららは座る。
 シオンスピード関係の馬主席はそれほど遠くなく、きららは壮太越しに美瑛の横顔を見ることくらいは出来た。しかしダービーだけあって人の出入りが多いから、すぐに見えなくなってしまう。
 「お前は、競馬自体に興味ないのか」
 「あんまり…」
 全くない、と即答しそうになったきららは、一応気を遣って表現をやや修正した。ここであまりむきつけに言っては、もう競馬場に連れて来てもらえなくなるかもしれない。それならそれで構わないが、美瑛が来ている時はやはり一緒に来たい。
 「美瑛ちゃんは、あの家を継ぐんだろうな」
 「一人娘だし、そうするんじゃない?」
 分かったようなことを言うと、壮太は首を振った。
 「それは違う。あの子は自分で結城牧場を継ぐぞ」
 「何で分かるの?」
 「お前は友達のくせに分からないのか?」
 「パパ、その言い方はどうかと思う」
 「そうか」
 きららはむくれながら、少なからぬショックを受けていた。
 何となく美瑛は結城牧場を継ぐんだろうと思っていたけれど、大人からはそんなにはっきり分かるものなのか。壮太は美瑛の顔を知っているかどうかだというのに。
 美瑛のことは、自分が一番よく知っていると思っていたのに。
 心外だった。
 「パパ、何で今日あたしを連れて来たの?」
 腹立ちまぎれに質問を投げると、壮太はさして驚きもせずに答えた。
 「教育の一環だ」
 「どういうこと?」
 「…連れてきたのは今回が初めてじゃないだろう。なんでそんなに突っかかるんだ」
 「パパこそ答えてないよ」
 「まあ、あれだ…黙って見ていなさい」
 きららにはやはり壮太の意図は分からなかった。
 美瑛ちゃんちは初めてのダービーで、嬉しくて美瑛ちゃんを連れてきたって言ってた。
 でも美瑛ちゃんは、自分が本当に嫌だったら大人しく連れて来られる子じゃない。
 じゃあ美瑛ちゃんは何で来たんだろう。
 あたしは、何でここにいるんだろう。
 きららが初めて美瑛との壁をはっきりと感じたとき、東京競馬場にダービーの始まりを告げるファンファーレが鳴り響いた。


 各馬がゲートにおさまっていく。きららは自分の家の馬もシオンスピードもろくに見ず、美瑛を見ていた。
 美瑛は特にシオンスピードに注目するでもなく、ただ全部の馬を注意深く見ていた。
 その美瑛の横顔を、きららは心底綺麗だと思った。美瑛ちゃんは綺麗だ。
 それは自分の家の馬がダービーに出てただ喜んでいる顔ではなかった。ダービーに出られるような馬がどんな馬なのかを生で見られる機会を最大限活用しようとしていた。パドックで自分と正吾をよそにじっと馬たちを見ていたのは、つまりそういうことなのだ。壮太の言ったことは、多分合っていた。
 ― 美瑛ちゃん。
 きららはなんだか泣きたいような気分になった。
 そして最後の一頭がゲートにおさまる。次に、カシャンという軽い音をたててゲート前の扉が開き、各馬が一斉に飛び出した。


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神崎 瑠珠 * 夕暮れからの道程 * 22:08 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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