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夕暮れからの道程(5)

あっと思う暇もなかった。
シオンスピードはゲートから出る時に大きく体勢を崩し、乗っていた騎手はもんどりうって投げ出された。
 スタンドが大きくどよめく。
 シオンスピードは本能で他の馬たちに混じって走り続けていたが、騎手抜きでは認められない。つまり、失格だった。
 「うそ…」
 きららは口を手で押さえた。ぐううん、とめまいがした。
 呆然としている間にレースは何事もなかったかのように進み、2分少々の後、シオンスピードは背に誰も乗せぬまま、他のどの馬よりも早くゴール板を駆け抜けた。


 ― 美瑛ちゃん。みはえちゃん。
 「だから、ダービーは家族で見るものだと言ったんだ」
 親の「だから言ったんだ」という言葉ほど腹のたつ台詞はない。だが、腹が立つということはまた言い返し様がないほどの真実だからでもある。
 「だってこれじゃ、美瑛ちゃんがあんまり…」
 「競馬は何があるか分からない。でも、これで終わりでもない。サラブレッドの歴史を考えたら、たった一回のダービーだよ」
 「でも、馬にとっては一生一度だよ」
 「そうだな。うちの馬にとってもそうだった。6着だったよ。意外と頑張った。お前はどうせ見ていなかったんだろう?」
 自分の家の馬が出ていたことなど、とうに忘れていた。
 「…ごめんなさい」
 「ま、いいさ…」
 父は全く期待せずに見ていたわけではないのだなときららは思った。父はどこかで夢を見ていたのだ。
 ― だったら、美瑛ちゃんは。
 もうたまらなかった。美瑛の方を見たが、ダービーが終わったので人の出入りがいっそうはげしく、さっぱり見えない。きららは席を立ち、人混みをかきわけ、美瑛の場所にたどり着く。
 美瑛は、凛と立っていた。シオンスピードの関係者も大勢居たので、彼女は席を取らずに正吾の横に立っていたのだった。
 近寄ってきたきららに先に気づいたのは正吾の方だった。
 「ああ…きららちゃん…」
 「おじさん」
 「なんだかね、申し訳ないね。スタートで落馬はないよねえ。そんな気性の悪い馬でもないと思ってたんだけど。ないよねえ」
 「あの、そんな…」
 きららは呆然としてしまった。言うべき言葉が本当に見つからないのだ。
 残念だったね、でも、次もきっとあるよ、でも駄目だ。そんな言葉しか浮かばない自分も嫌だけど、本当にどう言っていいのか分からない。
 「…なんできららが泣くの」
 美瑛に言われて、きららは止まらなくなった。
 「ごめんなさい、美瑛ちゃん。ごめんなさい…!」
 「きららが謝ることじゃないっしょ」
 「ごめんねきららちゃん。せっかくうちの馬応援してくれたのにね、申し訳ないね。…張り切って美瑛まで連れてきたのに、全くね…美瑛も悪かったなァ。申し訳ないな」
 「別に」
 美瑛は、自分に対して謝る二人を不思議そうに見、特に諦めているわけでも、意気込むでもなく、いつもの調子で一言だけ続けた。
 「これも、競馬」
 呆然とするきららの横で、やはり正吾がそうかね、申し訳ないねえと言い続けていた。


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神崎 瑠珠 * 夕暮れからの道程 * 23:02 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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