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桜影の支配・3

私は、いつものようにそのバーの戸を開けた。

「あ、エリだー。エリ、こっちにおいで」

カウンターから半身をねじって声をかけてくれたのは、カツミさんだった。
私よりちょっと年上の、綺麗な人だ。
髪の毛が長く腰まで伸びている。

「お久しぶりです、カツミさん」

私はカツミさんの横に座った。

「エリさんもお久しぶりじゃないっすか。仕事、忙しかったんスか?」

横から話しかけてきたのはなじみの若いバーテンだ。
おそらく学生アルバイトなのだろう。名前は知らない。

「単に君が居ない時に来てただけです。ハルイチさんとはよく会ったよ」
「ああ、俺とハルイチさん、あんまりシフト被んないんですよね。そっかー、そうだったのか」

ハルイチさん、とは私がよく話すバーテンだ。彼よりは歳が上だろう。
この若い彼がいるということはハルイチさんはいないわけだ。残念だ。

「エリは何にするの?」

カツミさんが私に聞いた。

「コアントロー・レモネード。あと本日のパスタ」
「エリは酒飲みながら真っ当にごはんを食べるよねえ」
「…いけないですか?おなかすいてるんで」
「構わないよ。どんどん食べて少し太りなさい」
「イヤ、です」
「ふふん、別にいいのに」

カツミさんは笑いながらグラスを空けた。
中身はおそらくいつものハイボールだろう。
酒の飲み方が男前だ。

「タバコ、吸いますけどいいですか」
「まだ吸ってたんだ」
「ここでしか吸いませんけど」

私はアラベスク模様の入った金属のシガレット・ケースを出した。
開くとメンソール系の細く弱い煙草が数本入っているが、開かなければ少し大きめのカードケースに見えなくもない。

「偽装工作?」
「そんなところです」
「ライターは?」
「これです」

私はピンク色の細長い電子ライターを出した。
香水用のアトマイザーや、口紅に似ていなくもない。

「いつも持ち歩いてるの?」
「はい」
「彼と会う時は?」
「持ってますよ」
「なるほどね」

私の意図を正確に察したカツミさんは、にやりと笑った。
彼には絶対に従っていたいという心とは別の、たった一つの反抗。
その反抗が私の正常さを支えている。

「なんスか?エリさん、彼氏の前で堂々と煙草吸ってるじゃないですか」
「吸ってないわよ!っていうかなんであなたが彼を知ってるのよ!」

彼をこの店に連れてきたことは勿論、ない。
存在すら告げていない、私の隠れ家だ。

「え?エリさんの彼氏って、矢野さんでしょ?」
「矢野!?」

矢野、とは「彼は私のことが好きだけど私は彼を好きじゃない」という男の名前だ。

「冗談じゃないわよ、やめて頂戴。矢野なんて彼氏じゃないわよ」
「じゃあ、何なんスか」
「…いいとこ奴隷よ」
「エリさん、ひでえ!」
「あら、女にはそういう存在が必要な時もあるわよ。いいんじゃない?」

カツミさんの助け舟に、私は勢いよく乗っかってにっこりとうなずく。
えええー、とのけぞるバーテンくんはまだまだなんだなと思った。

「そうスか…。でも俺、矢野さんのこと好きですよ」
「あら、そういうケがあったの?」
「違いますよ!そういう変な意味じゃなくて。いい男じゃないですか、矢野さん。背も高いし」
「そうね。悪くないよ」
「エリさんはあのくらいじゃ満足しないんですか?」
「そういうわけじゃなくて…」
「あのくらい、って言い方は違うわね」

言いよどんだ私に、カツミさんは再び助け舟を出してくれた。

「ジャンルが違うのよねえ。エリの求めるジャンルと、矢野君は、さ」
「…!そうそう。そうです!」

やっぱりカツミさんは男前だ。
再びバーテンくんはえええー、とのけぞる羽目になった。
カツミさんはくいっとハイボールをあおり、私は煙草をくわえて火をつける。
いつものバーの夜が更けていった。

神崎 瑠珠 * 桜影の支配 * 16:45 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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